hidehirato’s blog 旧・あんずは怒り、そして笑うのだ

日々を味わうシンプルな暮らしで、仙人に近づきつつあるシニアのドキュメント

先進国の悲劇 「長女たち」


夏の間に読んだ本ですが、
おもしろいけど、とても重くて、
なかなか書けずにいました。


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今日、読売新聞の ”ヨミドクター” というネットのコラムで、
篠田さんが 「介護を拒む母と20年」 と題した、
認知症を患うお母様との生活を書いてはりました。


お母様が人が家に入ってくるのを嫌がるので、ヘルパーさんも頼めないし、
ショートステイで施設に入れても「帰せ」と一晩中騒ぐ、とか・・・・・・


本に書かれていた3つの中篇のうち、
「家守娘」は、認知症の母親との苦しい関係が
微に入り細を穿って描かれており、
読むのがおそろしかったですが、
それは、フィクションがまじえてあったにせよ、
体験から書かれたのだとわかりました。

百組あれば百の母娘関係があると思うのですが、
娘に執着する母親、という気持ちが、私にはわかりません。
今は認知症になってしまったけれど、
母は私が若いときから、
「私のことなんかいいから、あんたは自分の子を、次の世代を大事にしてやって」
と言い言いしていました。

母はなんでもしてくれた。
そして何かして欲しいなんて言ったことがなかった。
量にしたら百分の一ぐらいだけど、
私が一所懸命作ったものや、母のために選んで買ったものを持って行っても、
よ~く人にあげていました。
喜ばれるからって。
使ってよ~、とちょっと腹たったけど。

私も娘にいっつもなんでもしてやりたいけど、してもらいたくはない。
次の世代に愛情を注いで欲しい。
お手伝いする。よれよれでも孫守り頑張る!
(てへ、赤ちゃん可愛いだけなんだけどね)

長生きしてしまったら、一人で生活できなくなった時点で、
ぼけているにせよいないにせよ、経済が許す範囲の施設を探して入れてね。
大部屋でも平気。誰とでもうまくやれるから。
な~んて娘にお願いしています。
「へーへー、わかった、わかった」 と娘。
・・・・・・わかった、は一回でよろしいよ。



高血圧だったり、糖尿病だったり、老衰に近い病気が医療の力で治せてしまい、
身体は元気なのに、心は(頭は)寿命がきている。
認知症はそんな先進国の悲劇だと思います、私は。
もう20年以上も前に、医療先進国であっただろうドイツの行き届いた老人施設の様子を知り、
進んだシステムに驚愕しました。
その当時日本には認知症自体もあまり認知されていなかったし、
その人たちを介護する施設もありませんでした、と思う。
今では日本も豊かになって、そこいら中にりっぱな施設ができています。
それはもちろん介護に苦しむ人たちへの対処としては、うんといいことだけど、
それより、根本の、長期の介護がとても多くなっている日本の、
心と身体の寿命のアンバランスが、どうにかならないものかと
思うわけです。
だって、とてもこわい。
私日々健忘症が重症になっています。
このまま認知症に移行しないという保障はないし。
どうにか自分の意識があるうちに、
自分の死の形を選べないものか、と思う。


「長女たち」 の中の「ミッション」 という中篇では、
そういう重い問題が描かれています。
女医さんがチベットへ僻地医療に行くんだけど、
現地の人々に受け入れられない。
それは現地の人々と先進国の人間では死生観が180度違うから。

篠田さんが、そこで実際活動していたお医者様を取材して書かれているので、
その方の見方も入っているのかもしれません。

長寿は仕事ができなるくなることだから必要ないとか、
ぼろを着て、托鉢とも言えない、人に食べ物をめぐんでもらいながら行く
聖地巡礼が、人間の救いだとか。

もちろん理屈だけでなく小説なのでエンタメです。
重いですが、ちゃんと、そして、うんとおもしろいです。



おもしろいっちゃ、篠田さん「転生」などという深い題名で、
コメディ小説書いてはります。
チベットという仏教の聖地を舞台にして。

お寺の仏像(生き仏だった人のミイラだったかな)が、わっはっはな性格で蘇る。
中国が、砂漠を耕地に変えようと、
ヒマラヤに穴を開けてインドのモンスーンの風を通そうと計画。
などなど、とんでもな発想でございますよ~
おもしろかった。

やっぱ、笑ってナンボの人生です、よね。