hidehirato’s blog 旧・あんずは怒り、そして笑うのだ

日々を味わうシンプルな暮らしで、仙人に近づきつつあるシニアのドキュメント

キリスト型の愛と孔子型の愛


 イエス・キリストの「愛」は、「人間にはエゴがあるから、他人のエゴをも認めてやって、
 出来るだけそれを満足させてやろう」というものであり、
 だからイエスは「自分が他人にしてほしいと思うことを他人にもしてやれ」と言ったのだ(と)。
 一方で孔子は「自分が他人にされたくないと思うようなことを、他人にするな」と言った(と)。

 つまり一方は喜ぶことをするよというプラス思考の愛で、
 もう一方は嫌がることはしないよというマイナス思考の愛である
これを極端に図式化すると、自分のエゴも他人のエゴも肯定する型の愛と、
他人のために自分のエゴを否定する型の愛という
対立した二つの「愛」の形になる(らしいのだ)。 

なんだか理屈っぽくてよくわかんないわ。←これはヒロインの独白



「彼女に関する十二章」  中島京子さんです。

60年前のベストセラー  「女性に関する十二章」 伊藤整 を下敷きにした物語です。
ほのぼのとした軽いお話で、ところどころに入る独白が笑えます。

第六章 愛とは何か より引用いたしました。

伊藤さんも中島さんも、日本的演歌調の考え方だと、
夫を敬え、親を敬え、自分のことは犠牲にして国を敬え、と
上の立場の人が下の立場の人に我慢を強いる形になりやすいので、
そうするといずれは両者不幸になる。
妥協もしすりあわせて、両者とも幸せになろう、
と言うてはります、気がする。





人のために自分のエゴを否定するのは、自発的であれば我慢した方も
してもらった方も双方ハッピー、ウィンウィンでありましょうが、
強制されるとほんま一方ばかりが不幸せになりまする。

遠出から帰って、疲れた夫にコーヒーを淹れるのは、
喜ぶ顔もみたいし、幸せなことだけど、
当然のように催促されると、「ワタシだって疲れとる!」と
文句のひとつも言いたくなっちゃう。
しえ~卑近





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えっと、キリストさんに一票。



そんなこんな、知性も教養もたっぷりある人が、ちょびっとしかない人(私のことさ。
昔はもうちょっとはあったはずなんだけど、加齢で全部忘れちゃったよ、と言い訳する)
向けに、易しい言葉で哲学的な考え方生き方を指南してくれるの。
ありがたし。

中島さんの本は全部読みましたが、
ファンタジー(ありえないとんでも設定っちゅうことですな)モノも、
こういう、すぐそこ、お隣あたりで起こっていそうな現実的なお話も、
どっちもいいわぁ。

ファンタジー方面でのオススメは、 「妻が椎茸だったころ」
なんちゅうタイトル!
しかし、泣ける。